映画「ボーン・アルティメイタム」の音楽は、それこそ劇伴といえるものでジャズともクラシックとも捉えられず、映画音楽としては聴かせ難い。
しかし、音楽に重要な3要素のリズム、ハーモニー、メロディーは、その映像のカット割りがきっかけに有ることが映画の世界に引き込もうとする力になっている。現代の音楽にメロディーは希薄で、口ずさみ難いかもしれない。今日の映画の音楽は、1970年代にラロ・シフリンや、クィンシー・ジョーンズがで後継シリーズが継承している。
生演奏の、それもアレンジが存分に施されたショパンの『子犬のワルツ』で始まった、10月2日の放送は、ゲスト 清塚信也さんが彼の演奏について語ってくれた、楽譜に背く弾き方はしたくない ― それは原典主義というのではなく、作曲家の思い描いているものに寄り添おうとしていることを伝えてくれました。真理さんが、何度もふかわさんがお休みなのを残念がっておられましたが、いつも以上に真理さんが音楽を演奏する上で深めたいことをぶつけているのも感じられました。
ゲストがいらっしゃっている時には、演奏家として追求されているものを模索していそうだなと感じてました。清塚さんのリアクションも良く、充実したかつての、日曜午後2時の音楽トーク番組に戻ってました。
そして、生演奏でのきらクラDON。ショパン作曲、『バラード第1番 ト短調』冒頭ですね。
映画「戦場のピアニスト」で、一躍人気の出た名曲。
マズルカやポロネーズのようなポーランド民謡が由来ではないこと、ワルツやノクターンのようにサロンで演奏される小曲を目指してはいないこと。ショパンの他の作品とバラードの相違点が強く、複数楽章や組曲でなく、単一の曲でありながらも、すべての曲が3拍子系になっており、旋律そのものに微妙な舞踊性を残しているところにショパンのバランス感覚は驚くべき物があり、魅力や才能が存分に発揮されている。ピアニストにとっては大きな存在で、冒頭の一音に込める思いは深いでしょう。
ショパンのバラード4曲には、同郷のポーランド出身の詩人アダム・ミツキェヴィチ( Adam Bernard Mickiewicz )の物語詩が背景にあるそうです。「かつてムーア人は、仇敵のスペイン人に復習するためにペスト菌やライ病菌をばらまこうと、自ら進んでこの恐ろしい病気にかかった。」と酒宴で客人たちに語り始めるリトアニアの英雄ヴァーレンロッドは、このムーア人の勇気を称えながら更に続けて言った。「リトアニア人である自分も、ムーア人と同じ運命にあったなら、やはり敵に対して、このような死の抱擁を与えるだろう。」と。
敵を殺害しようとする意思をほのめかした。との解釈で良いのですが、映画「戦場のピアニスト」で見すぼらしいポーランド人を前にして、ドイツ将校は「バラード第1番」を聴きながら、ドイツ人に生まれたことで将校をしているが、目の前にしているポーランド人と同じ境遇にあったかもしれない、と曲のメッセージを重ねたのかもしれない。
なお、リストやブラームスも、おそらくはショパンに影響されてピアノ曲としてのバラードを作りました。しかし彼らの曲は演奏される機会が少なく、バラードと言えばショパンということになっています。ショパン自身はむしろ標題音楽には否定的でした。演奏者や聴き手が生活している時代に演奏の解釈を委ねる『絶対音楽』でありたいと込めた強い思いが、現代でも感銘を受けさせているし、この4曲のバラードにはイメージを固定させる、いたずらに愛称をつけないでショパンへの敬愛を込めて、楽しんでいるのでしょうね。